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大雪山系、石狩岳を源流とする「北海道の母なる川 石狩川」はここ八幡町で270Kmの旅を終え日本海に注ぐ。

ここはその昔(昭和の初期)には150万尾もの鮭の漁獲を誇ったが、高度成長期に入ると内陸部の開拓、開発のため漁獲は5,000尾ほどに激減。

それとともに人々も消えた。

昭和の40年ころから漁民の公害闘争が実を結び、平成10年には22万尾が戻ってきた。

赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれからニシンは どこへ行ったやら
破れた網は 問(と)い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロー
沖を通るは 笠戸丸(かさとまる)
わたしゃ涙で ニシン曇りの 空を見る

この曲を作詞した「なかにし礼」一家は満州から引き上げるとこの近くの「朝里」で「ニシン漁」を始めるが間もなく事業に失敗し、一家離散となる。

この曲には彼の幼少時の想いが込められている。





この曲を作詞した「なかにし礼」一家は満州から引き上げるとこの近くの「朝里」で「ニシン漁」を始めるが間もなく事業に失敗し、一家離散となる。

この曲には彼の幼少時の想いが込められている。

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